今日は「教育における定量指標」について考えてみたい。
日本では必ず引き合いに出される「偏差値」。
これはもちろん、学生母集団のある成績の分布が正規分布と仮定して、
平均50、標準偏差10に標準化した得点である。
問題はこれが1次元、つまり各科目のテストの点数を主成分分析にかけて、その第一主成分のみを取り上げて、それで学校をランク付けしていることであろう。
(主成分分析に関しては、小生の別ブログを参照されたい。)
そして、この第一主成分の寄与率が50%~70%位と非常に高いと多くの人が実感しているのが現状であろう。
国際比較でしばしば話題になるのは、日本人の英語力の低さである。
この「英語能力指数ランキング」では、日本は72カ国中35位である。
しかし小生も海外の語学学校に短期間通って感じたが、
ヨーロッパ言語ネイティブの人は英語のリスニングは元々強い。
そして文法が多少不正確でもペラペラ話せる人が多い。
それに対して日本人(特に学校で英語を得意科目としていた人)は
文法が強い。そのため、語学学校入学時のペーパーテストで高い点を
とっても、面接の結果中級のクラスに割り当てられ、もう全部知っている初級文法を延々と習うというケースが何回かあった。
これは言語の構造上致し方ないところであろう。
個人的には英語上達には毎日の地道なトレーニングが不可欠であり、
それを「努力」や「意志の力」でなく、ルーチンとして持続できる仕組みを自ら作り上げることが重要だと思っている。
しかし小生は個人的には、大学進学時以降に数学を全く勉強しなくなる「文系」とそうでない「理系」に分けてしまうことに大いに問題があると思っている。
小生が現在語学学校で教わっている米国人講師は法律専攻で、「数学の才能はなくて…」と言っているように、結局数学が苦手な人は数学など必要としない専門に進む、ということについは日本と同じである。しかしPolitical Scienceなど英語でサイエンスがつく学問の学者に、高校数学の知識もあやしい人ばかりがなっている日本の現状はやはり改善すべきではないかと思う。この問題はまた改めて論じたい。